人生という橋
私は司馬遼太郎さんの歴史観が好きで、日本の中世から近代の知識はほとんど同氏の作品で学んだものと言えます。すべてと言っていいくらい読んだ作品の中で「新撰組血風録」はマンガのように軽い感覚で楽しめ、いま読んでいるのが、これで5〜6回目になります。この作品に出てくる興正寺という小さなお寺での思い出を書いてみたいと思います。このお寺は堀川七条、威容を誇る西本願寺のすぐそばにあり、気をつけていないとうっかり見落としてしまうほどのお寺です。
今から25年くらい前に目にした、興正寺の山門のわきの掲示板に書かれていた一言が忘れられません。「子を生み育てるのは動物、育てることにより学び、成長していくのが人」というものです。
この世に生を受け、両親はじめ関わり合いのある人たちのおかげで世に出ることができます。社会に出て一人前になると自分の子供はもとより、後輩、部下、平ったく言えば自分より未熟な人たちとの関わり合いが始まります。じゃぁ、その人たちと関わり合いをもった意義はというと・・・・
私の勝手な理解なのですが、次世代を担うその人たちを自分が今いる場所よりももっと遠くへ、もっと高いところへ渡してあげるところにあると愚考しています。「子孫に美田を残すな。」という言葉があります。私は残すべきだと思っています。しかし言うまでもなくそれはカネ、不動産といったたぐいのものではありません。人生に必要な栄養(知恵)を与えてくれる田畑であります。
一人でこの世に生まれ出て、ひとりで去っていく。なにも持ち去ることはできやしない。人生の目的、それはより長く、より高い橋を自分の努力で構築し次世代へつなぐ、それしかないと信じてやみません。
興正寺の一言を目にしたころの年賀状に次のように記しました。
「未熟ですが今年も歩み続けます、経験と言う思い出を創るために。無謀と思われるような走り方をするやも知れません。転びそうになったらぜひお手をお貸しください。」
深いブログ記事でした。
頑張れそうです。