ちょうど去年のこの頃、「猫も杓子も北欧へ、デザインをもとめて」という記事を書いた。
今年もStockholm Furniture FairとNorthern Light Fairが7日から開催されている。世界最大級のケルンの家具見本市を差し置いて多くの人が訪れるようだ。
フランス、イタリア、スペインのように、その気候や風俗が感性を育み、一方で長い歴史をもち、過去において世界文化のリーダーとして冠たる存在であった民族のDNAをもった末裔のCREATIVITYに対する評価であれば理解しやすいのだが・・・・
こういう言い方は北欧の人たちに対して失礼ではあるが、この地はつい近代までいわゆる山賊、海賊の居住する不毛の地であり、ロマノフ王朝はじめヨーロッパ文化を花開かせたハプスブルグ家、そして南にあるオスマントルコなどとは一切無縁の国々である。そんな民族の3,4世代後の子孫の創造力が現在なぜもてはやされるのであろうと愚考してみた。
いい気候の夏季は短い。長く雪に覆われる厳寒の冬季を生き抜く知恵が彼らには求められる。余分なエネルギーを使っていては死んでしまう。だから生活に使う道具は機能的で、使いやすいものでなければならない。装飾なんかいらない。シンプルで長持ちさえすれば十分。幸いなことにエスキモーの人たちとは違い、彼らには自然の森林が豊かにあった。森へ入ってウサギ、熊、狐(熊や狐が住んでいるかは不明ではあるが)などの肉を食い、毛皮を剥げば暖をとれる。また森の木を伐採すれば簡単に家具は作れる。こういう生き抜くための知恵がモノづくりにおいて西洋、東洋とはまた違った視点を育てたのであろう。
少し脱線するが、今から30有余年前、KOSTA BODAというガラス食器を商品として販売したことがある。キッカケはフランクフルトの空港で非常にシンプルなグラスが目に留まり買って自分で使ってみるとなかなか具合がよかったことにある。調べてみると大阪のNという商社が輸入卸をしており、早速、仕入れてみた。当時は気をてらったデザインや装飾的なものが主流であったので何の変哲もないグラスが妙に新鮮であり、お客さんの評判もきわめてよかった記憶がある。ところが最近はイタリアはじめ諸外国からデザイナーを招聘したせいか、その独特の雰囲気が失われていることは少し残念に思うことである。
話を戻したい。だから世間でよく言われる「北欧デザイン」自体は存在しないと思っている。機能性を追及してきた結果としての現在のフォルム(北欧スタイル)をそう呼ぶのは勝手だが・・・・そのフォルムが、経済状況が低迷するモノあまりの先進国で、比較的安価なこともあり受け入れられているだけにすぎないのではないかなというのが私見である。ただビジネスを考えるとき、ここ数年は他の「スタイル」を取り扱うよりはカネにはなりやすいのは蓋し頷ける。IKEAやH&Mそしてまもなく大阪でオープンするデンマークの1コインショップも安価で機能的なモノづくりの一例であろう。
ところが、北欧の照明器具については、家具と一括りできないと考えている。
北欧の冬は長い、長い冬の一晩子供たちを楽しませようと彼らが考え出し、いまや全世界に広まったサンタクロース。大人たちも雪に閉ざされた夜、フランス人やイタリア人のように夜フラッと出かけてバーで飲んでいたら帰り道に凍死してしまう。いきおい家の中でその時間を楽しむ工夫がいる。その雰囲気をつくってくれる大きな要素は「灯り」である。まず彼ら手がけたのは、今ではほとんど見かけることはなくなったが、電気で炎が揺れ動くキャンドル、人工的な暖炉の火である。自然が与えてくれる太陽光に勝るものはない。その自然の恵みを楽しめない彼らは人工的にそれを作り出さなければならない。「世界でもっとも夜の時間を楽しみたい欲求の強い」彼らの中にデザイナーと呼ばれる職種が他のヨーロッパの国々とは遅ればせながら出現、日本などの先進国のハイテク技術を導入し独自のスタイルを形成してきたのである。「商人」としてコメントさせていただくなら、あまりにもモノあまりの先進国で、また経済が低迷する先進国で、ヨーロッパが生む商品のなかでは、カネ儲けのしやすい商品のひとつであろうと見ている。
したがって、北欧の家具は彼らが厳しい自然の中で「生き抜く」ための産物、一方で照明器具は日照時間の短い季節を「楽しむ」ための工夫の産物という、まったくモノづくりのルーツにおいては両極端に位置づけられるモノである。
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